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2026年世界遺産登録で大注目の「飛鳥・藤原の宮都」構成資産をご紹介!【飛鳥地方おさんぽガイド】

2026.07.17

日本という国が形作られた百年間を見に行こう。

2026年、韓国の釜山(プサン)で開催の「第48回ユネスコ世界遺産委員会」。
世界各国から約3000人が参加し、新たな世界遺産の登録や保全について議論が行われ、2026年7月26日に「飛鳥・藤原の宮都」が世界文化遺産に登録されました
この記事では、ますます盛り上がりを見せる古代日本の首都「飛鳥・藤原の宮都」の楽しみ方をご紹介いたします。

そもそも「世界遺産」ってどんなもの?

世界基準で認められ守られる「極めて価値の高い文化財や自然」

  • 世界遺産とは、国連の機関であるユネスコ(UNESCO)の条約による制度で、「国や民族の枠を超えて人類全体で共有し、未来の世代へ引き継いでいくべき、極めて価値の高い世界の文化財や自然」のことをいいます。
    「有名な観光地」だから選ばれるわけではありません。「世界的に見ても他に類を見ない、特別な価値がある」と国際的に認められた場所だけがリストに登録されます。
    「飛鳥・藤原の宮都」は、エジプトのピラミッドや京都・奈良の文化財などと肩を並べる、世界的な文化遺産として認定されています。
  • 日本の自然遺産「富士山─信仰の対象と芸術の源泉」。

「世界遺産」に登録されると、どうなるの?

世界遺産に登録されると、その文化財や自然に対して、どのような変化があるのでしょうか?
大きく分けて3つのポイントがあります。

  • ① 世界的な知名度の向上

    「世界の宝」として認定されることで、国内外のメディアやガイドブックで広く紹介されるようになります。
    これまでその歴史を知らなかった人々や、海外からの観光客も多く訪れるようになり、地域全体に新しい活気が生まれます。

  • ② 「保護」の義務と責任

    世界遺産になると、国際的に「この貴重な遺跡や景観を守り、未来へ残す」という約束を交わしたことになります。
    無秩序な開発が行われないよう景観を守るルールが整備されたり、遺跡を保存するための国のサポートが受けやすくなったりと、保護・管理の体制がより強固になります。

  • ③ 地域の「誇り」の再発見

    地元にある見慣れた場所であっても「世界的に価値がある」と証明されると、地域に住む人々にとって大きな誇りになります。
    「歴史的な景観や文化を大切に守っていこう」という意識が高まり、地域社会の絆が深まるきっかけにもなります。

  • 2005年登録の「知床」。「海と陸の豊かな生態系が密接につながり、独自の食物連鎖を形成していること」から世界遺産登録に至りました。写真は羅臼湖と羅臼岳。日本の自然遺産「知床」。
  • 1995年に登録された「白川郷・五箇山の合掌造り集落」では、今も実際に人々が生活を営みながら美しい景観を保ち続けています。日本の文化遺産「白川郷・五箇山の合掌造り集落」。
  • 記憶に新しい「百舌鳥・古市古墳群」は2019年に登録。半壊状態のものも含めて44基の古墳から成る世界遺産です。日本の文化遺産「百舌鳥・古市古墳群」。

ついに「世界遺産」の仲間入り!

2026年6月には、ユネスコの諮問(しもん)機関である「ICOMOS(イコモス/国際記念物遺跡会議)」から、世界文化遺産への「登録がふさわしい」という勧告が出されていました。
ICOMOSは、世界遺産の候補地にて専門家による現地調査を行い、登録の価値があるかを審査する組織です。
ここから最も評価の高い「登録」の勧告を受けたことで、正式な世界遺産登録に向けて大きく前進。
「飛鳥・藤原の宮都」は2026年7月26日、世界文化遺産に正式に登録されました。

「飛鳥・藤原の宮跡」とは?

日本の国の基礎が作られた始まりの地「飛鳥・藤原」

  • 「飛鳥・藤原の宮都」は、現在の『日本』という国の土台が完成した、歴史の大きなターニングポイントとなった場所です。
    現在の奈良県明日香村、橿原市(かしはらし)、桜井市にまたがる飛鳥地方は、6世紀の終わりから8世紀の初め(平城京に都が移るまで)の約100年間、日本の政治と文化の中心でした。
    この頃は聖徳太子が活躍し、大陸から「仏教」などの新しい文化が次々と入ってきました。
    これによって「お金」「時計」「寺院」「瓦屋根」「都」など、たくさんの「日本初」が生まれた場所でもあります。
    日本初のクーデター「壬申(じんしん)の乱」から「大化の改新」など、歴史に残る大事件が起きたのもこの地でした。
  • 甘樫丘展望台から見た明日香村。
  • それまでの日本は、豪族(特定の地域において広大な土地、財産、私兵などを持ち、独自の支配権を持つ一族)たちが各地を治める、寄せ集めの状態でした。
    飛鳥時代の日本は、この混沌とした状況から「天皇を中心として、諸外国と対等に渡り合える一つの律令国家」へと、大きく変わっていきます。
    「日本」という国の名前や、「天皇」という呼び方が正式に使われ始めたのも、この飛鳥時代だと言われています。
  • 藤原宮跡の「朝堂院東門」。

「飛鳥・藤原の宮跡」の『構成資産』を見にいこう。

世界遺産の「構成資産」とは?

世界遺産の構成資産とは、ひとつの世界遺産を成り立たせている個々の遺跡や建物、場所などのことです。
特に、複数の場所をまとめて1つの世界遺産として登録する場合に使われます。
「飛鳥・藤原の宮都」は19の構成資産で成り立ち、『「日本国」の形成と成立』をテーマに、ジャンル分けされています。

「飛鳥・藤原の宮跡」の構成資産

「飛鳥・藤原」価値構成資産形成の過程
【宮殿・官衙(かんが・かんがい)跡】
中央集権国家の形成過程
01 飛鳥宮跡律令制による宮殿の形成過程
02 飛鳥京跡苑池
03 飛鳥水落遺跡
04 酒船石遺跡
13 藤原宮跡律令制による宮殿の成立
【仏教寺院跡】
国家宗教としての仏教寺院の成立
05 飛鳥寺跡仏教の受容
06 橘寺跡氏寺の成立
07 山田寺跡
08 川原寺跡
09 檜隈寺跡
14 大官大寺跡国家寺院の成立
15 本薬師寺跡
【墳墓】
律令による墓制の変化
10 石舞台古墳伝統的な墓制の継承と変質
11 菖蒲池古墳
12 牽牛子塚古墳新しい墓制への移行・展開
16 天武・持統天皇陵古墳八角墳・壁画古墳
17 中尾山古墳
18 キトラ古墳
19 高松塚古墳
  • ① 飛鳥宮跡

    飛鳥宮跡

    飛鳥宮跡(あすかきゅうせき)は、「日本」という国が形づくられた飛鳥時代の中心地です。
    飛鳥時代、天皇の宮殿はこの地域に定着し、計7つの宮が営まれました。
    中でもここは政治の最重要地であり、発掘調査によって舒明・皇極(斉明)・天武・持統の4代の宮殿が、同じ場所に幾重にも重なって建てられていたことが判明しています。
    これを受け、2016年に伝飛鳥板蓋宮跡から現在の史跡名に改められました。
    大化の改新の始まりである乙巳の変の舞台となり、天武天皇の時代には飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや)へと発展。
    694年(持統8年)に藤原宮へ遷都されるまで、歴史の表舞台であり続けました。

  • ② 飛鳥京跡苑池

    飛鳥京跡苑池

    飛鳥京跡苑池(あすかきょうあとえんち)は、飛鳥宮に付随して造られた日本最古の本格的な庭園の遺跡です。
    敷地は池と施設を合わせて東西約100m、南北約280mにも及ぶ広大なものでした。
    庭園は南北二つの池からなり、南の池には人工の島(中島)が築かれたほか、当時としては極めて近代的な噴水の石造物まで設置されていました。
    この庭園は、朝鮮半島から伝わった最新技術と日本の要素が見事に融合して生まれたものです。ここから現代まで続く日本庭園の歴史が始まったと言える、文化史において非常に大きな意義を持つ史跡です。

  • ③ 飛鳥水落遺跡

    飛鳥水落遺跡

    飛鳥水落遺跡は、日本初の漏刻(水時計)が設置された場所です。
    660年(斉明6年)に、皇太子であった中大兄皇子によって造られました。
    東アジアの最先端技術を取り入れて建設されたこの施設により、日本で初めて「国家による時間の管理」が始まります。
    民に時間を知らせることは、単に生活を便利にするためではありません。
    時の権力者が時間と空間を支配することで、天皇を頂点とした強力な国づくりを目指したという、非常に重要な意味を持つ遺跡です。

  • ④ 酒船石遺跡

    酒船石遺跡

    小高い丘の上に佇む、不思議な溝が刻まれた花崗岩の石造物酒船石(さかふねいし)
    かつては酒や薬を造る道具とも噂されましたが、現在は周辺の遺構とともに、水を用いた天皇の祭祀空間であったと考えられています。
    この石がある丘陵は天理市産の砂岩による精巧な石垣で守られており、当時の朝鮮半島から導入された高度な石工技術を垣間見ることができます。
    すぐ近くの谷底にある「亀形石造物」などの周辺施設とあわせて、『日本書紀』に記されている斉明天皇の両槻宮(ふたつきのみや)石の山丘を構成していた有力な候補地として、今も多くの謎とロマンに包まれています。

  • ⑤ 飛鳥寺跡

    飛鳥寺跡

    飛鳥寺跡(あすかでら)は、日本で初めて七堂伽藍(しちどうがらん)を備えた本格的な仏教寺院です。
    この巨大な寺院の建立をきっかけとして、飛鳥盆地における本格的な都市開発が始まりました。
    出土した瓦の文様や建物の配置(建築様式)からは、当時の東アジア諸国との活発な技術交流が見て取れます。
    大陸の最先端技術を用いて建てられた飛鳥寺は、後の日本の建造物に多大な影響を与えました。古代日本における仏教興隆の原点であり、新しい国づくりの息吹を今に伝える重要な構成資産です。

  • ⑥ 橘寺跡

    橘寺跡

    橘寺跡(たちばなでら)は、聖徳太子の生誕の地と伝えられる歴史ある寺院です。法隆寺や四天王寺と並ぶ「聖徳太子建立七大寺」の一つであり、日本最古級の尼寺であったとも言われています。
    寺の名称は、垂仁天皇の命で不老不死の妙薬を探しに出た田道間守(たじまもり)が、持ち帰った橘(たちばな)の実をこの地に植えたという伝説に由来します。
    中世の戦火によって広大な伽藍(がらん)は焼失し、規模は縮小してしまいましたが、現在も創建当時の面影を残しながら大切に守り継がれています。

  • ⑦ 山田寺跡

    山田寺跡

    山田寺跡(やまだでらあと)は、飛鳥時代の有力者であった蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだのいしかわまろ)が、641年に建立を始めた寺院です。

    造営は進められましたが、石川麻呂が政治的な事件によって失脚・自害し、工事は一時中断してしまいます。
    しかしその後、一族の悲願として673年頃に再開され、見事な塔や金堂が完成しました。

    さらに1982年(昭和57年)の発掘調査では、倒壊した東面回廊が「そのままの姿」で土中から発見されました。飛鳥時代の木造建築が丸ごと残っていたこの奇跡的な大発見は、当時の高度な建築様式を現代に伝える極めて重要な宝となっています。

  • ⑧ 川原寺跡

    川原寺跡

    川原寺跡(かわはらでらあと)は、天智天皇が母である斉明天皇の菩提を弔うために、飛鳥宮跡の西側に建立した壮大な寺院の跡です。

    かつては国を代表する四大寺の一つに数えられるほど絶大な勢力を誇りましたが、中世以降に衰退し廃寺となりました。現在は、跡地に建つ弘福寺(ぐふくじ)がその歴史を受け継いでおり、地上に残る貴重な礎石群が復元整備されています。

    また、ここは『日本書紀』にも記録が残る日本初の写経が行われた聖地でもあります。
    弘福寺では現在も訪れる方に向け、写経道場にて写経体験を行っており、海外の方や初心者でも一文字から気軽に日本の伝統文化に触れることができます。

  • ⑨ 檜隈寺跡

    檜隈寺跡(於美阿志神社)

    檜隈寺跡は、技術伝来のために大陸から渡ってきた渡来人が多く暮らす地域に建てられた、渡来系豪族の氏寺の跡です。
    最大の特徴は、大陸の息吹を感じさせる独特な伽藍(がらん)配置です。
    北から南に向かって講堂・塔・金堂が一直線に並ぶ珍しい構造をしていました。
    また、建物の土台に瓦を幾重にも積み上げる技法が採用されるなど、当時の日本の主流とは異なる建築様式が見られます。
    飛鳥時代における東アジアとの活発な技術交流を今に伝える、国際色豊かな遺跡です。

  • ⑩ 石舞台古墳

    石舞台古墳

    石舞台古墳(いしぶたいこふん)は、巨大な石室がむき出しになった、飛鳥を代表するランドマークです。
    本来は土に覆われたお墓でしたが、古くに土が失われ、現在のような巨石だけが露出したダイナミックな姿となりました。
    後の発掘調査により、元々は一辺50メートルの巨大な方墳(四角い古墳)であったことがわかっています。
    内部の横穴式石室は、同時代のものとしては国内最大の規模を誇ります。
    これほどの巨石を動かし、巨大なお墓を造ることができた被葬者は、飛鳥時代に絶大な権力を握った蘇我馬子(そがのうまこ)であると有力視されています。

  • ⑪ 菖蒲池古墳

    菖蒲池古墳(写真準備中)

    菖蒲池古墳(しょうぶいけこふん)は、7世紀中頃に築かれた古墳です。
    2009年からの発掘調査により、一辺約30メートル、2段に土が盛られた方墳(四角い古墳)であることが判明しました。
    この古墳の最大の特徴は、驚くほど豪華な内部構造です。
    埋葬施設である横穴式石室の壁面には漆喰(しっくい)が塗られ、神聖な空間が整えられていました。
    さらに石室の中には、立派な屋根飾りを持ち、内側に漆が塗られた2基の家形石棺(いえがたせっかん)が並んで安置されています。
    当時の有力者(夫婦や家族など)が極めて手厚く葬られたことを物語る、飛鳥時代の葬送文化を伝える貴重な遺跡です。

  • ⑫ 牽牛子塚古墳

    牽牛子塚古墳

    牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)は、時の天皇級の人物にしか許されなかった最高格式の八角形の古墳です。
    内部には、巨大な一つの凝灰岩(火山灰が固まった岩)を丸ごとくり抜き、二つの部屋を設けた、極めて精巧な横口式石槨(よこぐちしきせっかく)が納められています。
    この「二つの部屋がある八角形古墳の前に、小さなお墓が建っている」という特別な配置は、『日本書紀』に記された斉明天皇・間人(はしひと)皇女の合葬墓と、その前に築かれた大田(おおた)皇女の墓の記録と一致します。
    さらに2010年の発掘調査では、この古墳のすぐ手前で別の小さな古墳が新たに発見され、越塚御門(こしつかごもん)古墳と命名されました。
    歴史書の記述が現代に証明された、大注目の遺跡です。

  • ⑬ 藤原宮跡

    藤原宮跡

    藤原宮跡(ふじわらきゅうせき)は、日本で初めて造られた本格的な都藤原京の中心にあった巨大な宮殿の跡です。
    宮殿の内部には、天皇の住まいをはじめ、重要な政治儀式を行う大極殿(だいごくでん)や、役所が計画的に配置されていました。
    これらの建物には、宮殿として初めて堅固な石の土台(礎石)と瓦屋根が採用され、日本の建築史を大きく塗り替えました。
    また、正門から南へまっすぐ延びるメインストリート朱雀大路(すざくおおじ)は、幅約24メートルという驚異的なスケールを誇ります。
    この都市構造は、法律(律令)に基づき、天皇を頂点とする中央集権国家がこの地で完成したことを物語っています。

  • ⑭ 大官大寺跡

    大官大寺跡

    大官大寺跡(だいかんだいじあと)は、その名の通り飛鳥で最大規模を誇った国家寺院の跡です。
    かつてこの場所には、藤原宮の心臓部である大極殿にも匹敵する巨大な金堂や講堂が建ち並び、国家の威信を象徴する九重塔(くじゅうのとう)が天高くそびえ立っていました。
    その後、平城京への遷都に伴い、お寺の歴史は奈良の「大安寺」へと引き継がれていきます。
    現在は田畑が広がり、土壇と跡地を示す石碑が残るのみとなっています。
    何もないのどかな風景の中に立ち、かつてここに存在していた巨大な伽藍(がらん)を想像しながら歩くのが、この史跡の大きな醍醐味です。

  • ⑮ 本薬師寺跡

    本薬師寺跡

    本薬師寺跡(もとやくしじあと)は、天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気回復を深く祈り、建立を始めた寺院の跡です。
    最大の特徴は、金堂の手前に東塔・西塔の「2つの塔」が並び立つ双塔式伽藍(そうとうしきがらん)と呼ばれる建物の配置です。
    これは当時の新羅(しらぎ・朝鮮半島)との技術交流によってもたらされた、最先端の建築様式でした。
    その後、都が平城京へ移るのに伴い薬師寺は現在の奈良市へと移転します。
    そのため、元々あったこちらのお寺は区別して本(もとの)薬師寺と呼ばれるようになりました。
    伴侶への愛と祈りという普遍的なテーマを背景にもつ、飛鳥時代を代表する寺院跡。
    現在の奈良市薬師寺の華麗な姿と合わせて、ぜひ堪能してみてください。

  • ⑯ 天武・持統天皇陵古墳

    天武・持統天皇陵古墳

    天武天皇・持統天皇 檜隈大内陵(ひのくまのおおうちのみささぎ)は、日本の国づくりを牽引した夫婦が眠る合葬陵(がっそうりょうです。
    7世紀後半に築かれた天皇の象徴である八角形墳で、藤原宮の中心線の真南に位置しています。
    お墓と宮殿を一体とした設計は、国家を永遠に守らんがため。当時の壮大な都市計画が見て取れます。
    内部には、古墳時代の伝統的な方法で埋葬された天武天皇と、仏教の影響を受けて天皇初の火葬に付された持統天皇が、並んで安置されています。
    夫婦の絆とともに、日本の葬送文化が大きく変わる歴史の転換点を今に伝える貴重な陵墓です。

  • ⑰ 中尾山古墳

    中尾山古墳

    中尾山古墳(なかおやまこふん)は、その立地や特別な形状から、文武天皇(もんむてんのう)の真の陵墓であると有力視されている古墳です。
    対辺約20メートルの墳丘は3段構造の八角形墳で、周囲には3重の外周石敷きが巡らされるなど、天皇陵にふさわしい精巧で厳かな造りとなっています。
    内部の埋葬施設はとても小さく、床の中央には火葬された骨を納める蔵骨器(こつぞうき)用の四角い窪みが彫られています。これは、巨大な石室に棺を納める時代から、仏教思想に基づく火葬へと葬送文化が移行したことを示しています。
    飛鳥時代の終焉と、新しい時代の幕開けを象徴する、極めて重要な遺跡です。

  • ⑱ キトラ古墳

    キトラ古墳

    キトラ古墳は、高松塚古墳に続き日本で2例目であり、日本最古の極彩色壁画(ごくさいしきへきが)が発見された、大変貴重な円墳です。
    内部の石室には、古代中国より伝わった世界観・宇宙観を見事に表現した壁画が描かれています。
    壁面には色鮮やかな四神(しじん)と、獣の顔と人の体を持つ十二支像が守り神として配置されていました。
    さらに天井には、東に太陽、西に月、そして無数の星々を配置した天文図が広がっています。
    中でも天文図は、現存する星図としては東アジア最古の事例として世界的に注目を集めました。
    これは古代の人々が石室の中に描き出した「小宇宙」であり、当時の日本の天文学のレベルの高さを現代に伝える世界的な大発見でした。

⑲ 高松塚古墳


  • 高松塚古墳
  • 高松塚古墳は、日本で初めて極彩色壁画(ごくさいしきへきが)が発見され、日本中に飛鳥ブームを巻き起こした、歴史的な円墳です。
    内部の石室には、色鮮やかな四神図や、「飛鳥美人」として有名な女子群像などの人物像が描かれています。
    さらに天井には、星座を表した星宿図(せいしゅくず)が広がっており、その高い美術的価値は現代でも色褪せません。
    これらの壁画は、当時の日本が古代中国の思想や美術から強い影響を受けていたことを示しています。
    日本古来の古墳文化から、大陸の最新スタイルを取り入れた新しいお墓の形へと歴史が大きく変化したことを証明する、飛鳥を代表する大発見です。

アクセス情報

「飛鳥・藤原の宮都」の構成資産である19の文化財と共に、それらと関連深い「飛鳥の巨石群」、そして飛鳥時代の歴史を学ぶ施設をご紹介するマップを公開しています。
また、遺跡のロケーションを楽しんだり、郷土料理を召し上がって、より「飛鳥」を楽しめるカフェ・レストランも併せてご紹介しています。
日本という「国」が生まれた時代と歴史を見て、触れて、感じる旅を、是非お楽しみください。

 

構成資産を訪れるなら、レンタサイクルがおすすめ!

  • 「飛鳥・藤原の宮都」構成資産の中には、駐車場が小さい・無いなど、車ではアクセスが難しい場所もあります。
    歩いて巡るのももちろん良いのですが、観光の貴重な時間を効率よく使うなら、レンタサイクルの利用をおすすめします。
    近鉄飛鳥駅と近鉄橿原神宮前駅にはレンタサイクル店舗があります。
    中には電動アシスト自転車や、ペダル付き原動機付自転車(モペット)、複数人で利用できるトゥクトゥクなどをレンタルしている店舗もあります。
    史跡を回るスケジュールや、ご自身の体力に合わせて、ぜひご活用ください。

  • 飛鳥駅前で借りられるモペット。免許証が無くても16歳以上の人なら利用できます。

 


 

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